目次
「音楽と食の祭典」のご報告
銃後の守り
イベント情報
・『マスク狂想曲』出版記念講演会IN広島
・第二回大人の社会学
・ライアー*折鶴*コンサート
・TOKI LIVE DREAMER
・内藤晴輔氏 講話会
「音楽と食の祭典」のご報告
田中喜久親
去る2023年9月10日、安芸高田市に初の「音楽と食の祭典」
場所は、向原生涯学習センター450名ホール〝みらい〟にて開催される。
(主催:都会にあきたか、来んさい安芸高田グループ)
市民メディアの会員も何人か所属し、安芸高田市で無農薬栽培米などを普及する農業者・平均年齢70歳を超える仲間五人の「都会にあきたか、来んさい安芸高田」グループとまた活動に加わって来た「音楽と食の祭典」安芸高田市に縁のあるアーティストたちとの開催コラボイベントが開催されました。
アーティストには北九州からに加え、横浜からも参加、総勢7〜8人が出演。しかし、経費的には、アーティストたちのボランティアに近い出演料だから、運営大変でしたが、ギリギリ出来ました。
そして講演の初め、司会の方からご紹介されたのは、みんなも知ってる、フリーアナウンサーの久保田夏菜ちゃん・田中悠貴さんのお二人。10月1日に行われるマルセ(さつまいも含む)&子どもに人気の当日走らせる予定のミニ機関車(農業者の水野さん作成)を紹介されました。
午前の出演者は、北九州市では市がスポンサーに付く、すごく有名な池端克章さん、そして池端さんの作詞・作曲を長年して来られた歌い手でもある、龍海渡(ロンカイト)さん。
次12時過ぎには、農業者を代表し「日本の農業、そして農業の未来、大丈夫?」という題名で田中が語り、終了後「感動しました」という反応、何人かの方から、そんなお声を頂きました。
その後、14時からも、ロンカイトさん、ライトボイスさんはどちらも、一度倒れられ、互いに辛い状況を超え、ミュージシャンに復活。ユニットNOKOUSOKUを結成。脳梗塞、くも膜下を乗り越え、勇気を持って立ち上がった姿に韓国から岩手からファンが訪ねて来てくれてる。素晴らしいです。横浜からは、俳優のアーリーさん・女優のリコピンさん。アーティスト全員のフィナーレ。アーティストさん達への花束贈呈。 農業者・伝道さんへのライトボイスさんからの花束贈呈。
この讃え合いは、みんな誰一人として寂しさを感じない様に、調和を重んじ、強いメッセージを感じました。
銃後の守り
高原 宇津田テツミ
令和四年二月以来、毎日朝昼晩のトップニュースはウクライナ・ロシアの戦争の事ばかりです。多くの子供、住民、兵隊と罪のない人達が犠牲になっています。そうしたニュースを聞く度に思うのが大東亜戦争です。もう八十年前にもなりますが、忘れる事は出来ません。私は国民学校の高学年でしたから、朝、登校すれば校門に藁人形が三体、それを竹槍でエイヤッ、エイヤッ、エイヤッ、と三回力一杯突き刺してから教室に入って行きました。毎日ではありませんが、勤労奉仕と云って、芋植え、草取りなどの手伝いもありました。
家では学校から帰宅するのを親たちは待って、弟妹のいる家は子守、そうでないものは桑の木の皮はぎ、江川周辺は養蚕業が盛んでしたので、桑の葉を摘んだ後の小さな木を割竹にはさみ切り目をいれ、それをはぐ仕事です。これは兵隊さんの軍服の材料になるんだと聞いていました。「勝つまでは何事も不足は言いません」のスローガンでみんな遊ぶことなどしないで一生懸命手伝ったものでした。
食べるものも米も一人一日幾らの計算で配給です。すべてのものが人数で割り当てられていました。育ち盛りの子供らに満腹させる事は大変だった事でしょう。食べられる野草はすべて食べました。中でもクサギ菜という葉を入れたご飯が一番嫌でしたが、それでも食べなければそれ以外に口にするものはありません。そんな粗食の時代を過ごしたせいでしょう。今の飽食時代はもったいない想いです。私の家族は祖母、母、子供五人の七人でした。父は私が四歳の時に他界しました。配給だけでは到底白いご飯など食べる事は出来ません。幸いな事に母の妹の嫁ぎ先が一町百姓でした。供出も厳しかったようですが、それでも自作の強みもあり随分助けてもらいました。その頃は穀物の統制は、それはそれは厳しいもので、昼間は巡査が見張っていました。母は日の暮れより五粁の山道を一人で歩き、夜中米を背負って帰ったようです。それにしても今は山道を女一人で歩くなど考えられません。熊も猪もいなかったのでしょうか? 昔の女性は強かったと感心するばかりです。
そして、私が一番忘れる事の出来ないのは、実家の隣家の二人の兄弟が戦死されたときのことです。国防婦人会と云う強い女性の団体のかた四、五人が「名誉の戦死をされました。おめでとうございます。これからは誉の家です」と挨拶に来られ、人前では泣く事さえ出来なかったと母にすがりつき泣かれたのです。子供の私も母と一緒に泣きました。そして、私が嫁いだ宇津田でも二人の兄弟が戦死。同じ誉の家という表札が懸かっていました。何としても戦争だけはしてほしくありません。早くウクライナ・ロシアの戦争もコロナも終息する事を願っています。
邑南町文芸誌「大耕」29号(2022年)より転載
宇津田テツミ プロフィール
養蜂家に嫁ぎ77年。亡き夫の志を継いで娘とともに家業に勤しむ。2016年銀座で行われたミツバチ・フェティバル「日本で味わえる一番美味しいハチミツはどれ?」で並みいる国内産・外国産を抑え第一位。原爆投下直前まで白島にあった広島逓信局でモールス通信士として勤務。「そんなところにいたら殺される」と懇請する母親の願いを受け入れて渋々島根県に帰郷。後に「原爆投下は予告されており、軍都広島に2万人いたはずの兵士は200人しか死なず、女・子ども、そして元の同僚は見殺しにされた」ことを知り「政府・軍は国民を守らない!」と痛感。半強制的なワクチンには懐疑的で一度も接種せず。毎日納豆1パックとお抹茶3回でこの10年風邪もひかず。寄稿文の中に「国防婦人会」と云う文言があるが、ワクチンを他人に強いる女性たちを見て「国防婦人会を思い出す」と。現在96歳。
イベント情報
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・第二回大人の社会学
・ライアー*折鶴*コンサート
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・内藤晴輔氏 講話会
『マスク狂想曲』出版記念講演会IN広島
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第二回大人の社会学
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